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校歌について

校歌

作詞 横瀬 夜雨 作曲 堀内 敬三

1 茂田(もだ)の大塚 
  深見塚   あしまの山の ひさご塚
  土となりぬる くにづこの   
  はなやかなりし 夢のあと

2 我が父 我が母 我が兄の   
  生まれしところ 名にしおう   
  養蚕(こかい)の川の 中どころ   
  肥土(あくと)の村に 生まれ来て

3 御二所(おにしょ)の桜 尊像寺(そぞうじ)の   
  しだれ桜と きそうとき   
  秋はきりふる 筑波山(やま)   
  猿のこずえを 渡るとき

4 噴井(ふきい)の水に 
  盛り上がる   きたなき心 
  浄めつつ   校の教えの 
  勤勉と   至誠を共に 守りつつ

5 友よ学ばん 元気よく   
  仲よく強く 手をくみて   
  友よ遊ばん 朝日さし   
  夕日かがやく ふじ山(やま)に

校歌ができるまで

昭和5年,村長だった篠崎冬次氏が学校教育のために校歌の大切さを感じ,児童のために校歌をつくろうと奔走しました。その気持ちに共感した横瀬夜雨が,その年の秋頃,村長,校長と共に車で村内の名所旧蹟,学校内を見学し作詞をしました。

横瀬夜雨の詩によい曲をつけようと,本村の学務委員であった千葉茂氏が理想の作曲家をさがしまわりました。昭和9年1月に日活映画撮影会社庶務課長で,村長の実弟である石山龍嗣氏にお願いし,当村におられた作曲家として名声の高かった堀内敬三氏にお願いして曲が完成しました。

昭和9年6月,県知事から時の文部大臣・松田源治氏に歌曲採月許可願を提出し,同年9月,養蚕小学校校歌が誕生しました。故横瀬夜雨先生の墓前に篠崎氏及び職員一同で校歌完成の報告がなされました。 昭和12年3月20日,篠崎冬次氏が亡くなった時には,全校児童が墓前で校歌を斉唱し,ご冥福をお祈りしたとのことです。

『校歌碑』の画像

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